【夜行く少女】22
焔の町商店街には午後五時を過ぎると、満月の夜の日だけ開かれる【夜市】がある。
その日の夜は、妖怪も人間も皆遅くまで楽しい時間を一緒に過ごし、親睦を深めていく。妖怪と共に生きる焔の町の人間たちにとって夜市は大事な交流の場となっている。
珍しい食物を売る出店や不思議な雑貨店が多く立ち並び。妖怪や人間の買い物客で、ワイワイ賑わっていた。
夏巳の母 夏夜子は、商店街にある深夜まで営業する小さなスーパー【イナズマート】で買い物を終わらせた。
夏夜子が買った物は、晩ご飯の惣菜とサラダを作るための野菜や夏巳の好きな甘い果物。そして小風丸が食べたがっていた、パンケーキを作るための材料などだ。
「よぉ〜そこの可愛い人間のお嬢さん! よかったらウチの店によっていかないかい?」
顎鬚を生やしたガタイの良い出店の主人は、変わった形をした果物のような赤い実を手に持ちながら、自分の目の前を歩いて通り過ぎようとする夏夜子を呼び止めた。
「ああ、ごめんなさい。わたし今から家に帰るところなんです。子供たちが家で待っているので」夏夜子はそう言って、出店の主人の誘いを断った。
「そうか〜また次の満月の夜にでも、寄って行ってくれよ〜。護炎山で取れた不思議な果物がた〜くさん手に入ったんだ」
出店の主人は少し残念そうな声でそう言うと笑って手を振った。夏夜子は歩いて帰る途中、何人もの妖怪や人間の店主たちに声をかけられた。
けど、留守番している夏巳と小風丸の事を考えると、早く家に戻らなければなと思い。ずっしりと重たい買い物袋を両手に持ちながら歩いて帰っていた。
暗い道を歩き進んで行くと、陽焔寺がある方向から知らない一人の子供が息を切らしながら走って来ることに気付いた。
その知らない子供はビーチサンダルに青い色の短パンと白いタンクトップ着ていて、薄いピンク色のジャージを羽織った。レモン色の明るい髪をした、ボーイッシュで可愛らしい人間の女の子だ。
夏夜子はその女の子が、夜市で何か買い物でもするのかなと思った。
けど、この時間に子供が一人歩きしていた事に少しの不安を感じていたーー その時。
「きゃあっ!」
ドサッ!
走ってきた女の子は、夏夜子とすれ違う時に肩がぶつかり。夏夜子は手に持っていた買い物袋を地面に落とした。
「ご、ごめん!あたし急いでて……ごめんなさい!」
落とした買い物袋から果物がコロコロと地面を転がり。夏夜子は慌てて拾い集めた。
困っている夏夜子の事など気にもしないで、女の子は商店街がある方向に急いで走って行った。
「あの女の子……服がびしょ濡れ」
走って行く女の子の後ろ姿が見えなくなるまで、夏夜子はその場に立ち尽くしていた。
女の子は夏巳よりも少し背が高くて、夏夜子は女の子が中学生くらいに見えた。
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「夜市?」
夏巳は不思議な物でも見るような顔をして、自分の隣に座っている小風丸に聞いた。
「満月の夜の日だけ開かれる市場の事だ。 今夜は商店街でいろいろな出店があるんだ。陽焔寺でやる寺祭りとは少し違うけど……賑やかで楽しいところだ」
と夏巳が昼間持って来た生肉をモグモグ口に頬張りながら、小風丸は言った。
夏巳と小風丸は炎焔坊の部屋にある真っ赤なベッドの上に座り。買い物に行った夏夜子と仕事に行った炎焔坊の帰りを二人でおとなしく待っていた。
待っている間。長い沈黙が続くのが嫌で夏巳は苦手な小風丸に少しだけ話しかけた。内容は、自分の母親の夏夜子と小風丸の師匠 炎焔坊の事だ。
「炎焔坊さまが帰って来たら、ボクは夜市に連れて行ってもらう約束をしているんだ」小風丸は羨ましいだろと自慢するような顔をして夏巳に言った。
「いや、別に」夏巳は心の中でどうせそう来るだろうなと思っていた。だから、あまり羨ましいとは思わなかった。
夏巳が初めて小風丸と会った時。小風丸は妙にイライラしていた。
何でそんなに小風丸が自分に怒っているのか、夏巳にはそれが分からなかった。
けど二人で話をしていると何となく、その怒っていた理由が少しずつわかってきた。
「……お前も夜市に行きたいか? 」 生肉をもう一口食べながら、少し考えたような顔をして小風丸が言った。
「え? オレも行っていいの?」
夏巳が小風丸の方を向いてそう言うと、小風丸は食べ終わったお皿をテーブルの上に置きながら夏巳に言った。
「お嬢さんが帰ってきたら外に出れるように、ボクも頼んでやるよ。お前と一緒に行く方が、炎焔坊さまは……きっと楽しいと思うから」
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炎焔坊は烏大天狗の若い部下を二人を引き連れて、暗い暗い山の中を凄まじい速度で飛んでいた。
向かっている先は天雨川。
川の主に攫われたと噂される、消えた人間たちの手掛かりが、何か一つでも残っていないかと炎焔坊たちは探しに来たのだ。
流れていく川の近くに三人が降り立つと、手分けして消えた人間たちを探し始めた。
数週間も前にいなくなった人間たちが人喰い妖怪のいる緋天山の中で生きている可能性はかなり低い。
けど三人は滝川の周辺や山妖怪が多く出没する場所も長時間探した。
「炎焔坊さま! 滝川の周辺にも人間がいた痕跡はありませんでした!」
バサバサと真っ黒な翼を羽ばたかせながら、一人の烏天狗は炎焔坊に言った。
「やはり人間たちは、天雨川の主に川の中に引きずり込まれたか、溺れてそのまま海まで流されてしまったのかも知れませんね」
もう一人の烏天狗も翼をバサバサと羽ばたかせながら言った。
「そうだな、手遅れかも知れない……すまない。お前たちまで長い時間付き合わせてしまった。戻っていいぞ」
炎焔坊は烏天狗の二人にそう言うと、流れる川の前まで歩いて立ち止まり、ひざを曲げて腰を下ろした。
着物の袖を捲り上げて自分の腕伸ばし、冷たい川の水に指先でそっと触れると川の水の異常な冷たさは、まるで鋭い剣で深く傷つけられるような嫌な感覚がした。
「朝になったら川の中に潜って、もう一度調べる」
「えぇっ!? この川の中に潜るんですか!? 」「炎焔坊さま……それ本気で言っているのですか?」烏天狗の二人は驚いて同時に声を上げた。
「ああ。数十年……いやもっと前からか。今まで一度も姿を見せた事がなかった川の主が、何故今になって人前に姿を表すようになったのか、私も少しだけ興味が湧いた」
月明かりに照らされた、流れていく夜の天雨川を見つめながら炎焔坊は言った。
「前に来た時とは少し違う。 天雨川の中にいる川の主はそうとう機嫌が悪いようだ」